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© sesamespace / fabre8710


coat

セサミスペース sesamespace

2007年3月3日(土)~ 4月7日(土)
12:00~19:00 日・月・祝
*この展覧会より開廊日が火~土[Open]になります。

オープニングレセプション:3月3日(土)18:00~20:00
*初日、作家を囲んでのレセプションパーティーを開催いたします。
皆様のご来廊をお待ちいたしております。お気軽にご参加ください。


セサミスペースの本格デビューとなる今回の個展では、独自の世界観を醸成したビジュアル作品に加え、ドローイングやビデオ作品などを展示。まるで動物のブロマイドを思わせるビジュアル作品は、恋愛、悲喜、慈愛、そして自然にいたるまで、言葉で表現しにくい感情領域や、我々人間の力では制御しきれないものを訴えかけてくるようです。

sesamespace work
© sesamespace / fabre8710


「なに考えてるんだろう?」

と、セサミスペースは、動物と対面したときに思うことがある、と言う。では、我々は、動物または人間の表情やしぐさから何をどこまで読み取ることができるのだろうか。本能と本心。理性と演技。対象と対峙したとき我々は、想像力を最大限に働かせてもなかなか本当のことを知るのは難しい。動物のブロマイドを思わせるセサミスペースのビジュアル作品は、撮影時でのイメージやテーマを作品の最終形として定着させるのではなく、撮影後の写真を自ら客観的立場に立って見つめ直し、そこで感じたことを元にして再び作品制作をスタートさせる。元となる写 真に何かを加え何かを引いていくといったその過程で、さまざまな思考と感情が上塗りされ、また剥がされていくことになる。そう考えると、作者が制作プロセスの中で、被写体となった動物に作者自身やさまざまな人間性、動物性を垣間見るであろうことを想像することは容易い。おそらく、冒頭での「動物が何を考えているのかを知りたい」という欲求は、動物を人間的ないきものとして捉えたうえでの好奇心によるものだろう。かといって人間が身勝手に動物を擬人化しているわけではなく、動物の動物化、動物のいきもの化といえなくもない。「動物とか自然に興味がある。だからって人間に興味がないというわけではない。」と作家は言う。人間も自然の一部だといえる。と、なると、人間や、人間をこえるもの、人間をめざすもの、がそこにあると考えられる。写真でなくて絵画でもなくて彫刻でもない。また合成技術を競うのでもなく、インスタレーションによって何かを提示するのでもない。そこには、一歩進むと道が枝わかれしていくような複雑な感情が、幾層かの膜によって、かろうじて「coat」されている。動物や人間の表情だけでなく「アート」の表情がそこに見える。セサミスペースが提示するイメージと対峙し、対話していると、リアルという固定観念から脱皮をはかることができそうだ。

「便器とは思えなくなる?」

では、動物や人間の表情だけでなく、我々は「アート」の表情からどれだけの内面を読み取ることができるのだろうか。このように考えること自体、本質を遠ざけているのかもしれない。が、たとえば、マルセル・デュシャンの作品「泉」は、便器の表情をしているが、けっして便器でないのは衆知の事実だ。このことにからめて、便器について。ふだん我々はトイレで目にするものを便器と認識しているが、掃除の際にこの便器を磨いていると、それはいつしか便器に思えなくなってくることがある。ごく日常的な感覚でこの現象を解釈すると「気のせい」ということで片付けてしまいがちだが、これこそ「アート」と言われるものではないのだろうか、と思う。磨けば磨くほど、便器がマシンや磁器に思えてくるこの錯覚的感覚。マルセル・デュシャンの便器が、時空を越えて「アート」だと確信できる瞬間だ。このような瞬間の積み重ねが、我々の感性を高めてくれるのではないだろうか。では、セサミスペースのビジュアル作品は、どのような「アート」の表情を見せてくれるか。それは、我々の価値観を、合わせ鏡のように映し出すメディアとなるかもしれない。


ディレクター 南口俊樹

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